こんにちは。チェンジの野田知寛です。このところ、人材育成の議論をしていると、必ずと言っていいほど同じ場所に行き着きます。資料をつくる、要点をまとめる、案を出す、文章を整える。かつては「頭を使う仕事」と呼ばれていた部分が、AIに移りつつある。そうなると、人に残るものは何かという話になり、たいていは「人間力」や「EQ」という言葉が出てきます。大事なのはわかります。では、それはどうやって育むのか。今日はそんな変化のはなしです。
人間力は「知」の総量から生まれる
私は、人間力やEQの正体は、結局のところ、その人がそれまでに得てきた「知」の総量じゃないかと思っています。かなり乱暴な見方ですけど、共感にせよ、機微を読むことにせよ、場をおさめることにせよ、それは天性の優しさだけで成り立つものではないと感じます。相手が何を大事にしていて、いま何に困っていて、どんな言葉が刺さり、どんな言葉が傷つけるのか、その引き出しがなければ、優しくありたいと願っても、具体的な行動として外に出てこないと思うのですよね。結局のところ、インプットのないところに、アウトプットは生まれないと。
では、その「知」はどこから来るのか。私はおおよそ三つだと考えています。ひとつは書籍から得られる知。ひとつは人から得られる知。そしてもうひとつが、環境や土地から得られる知です。本は、自分が生きられない時間軸と他者の思考の筋道を借りる装置です。人は、言葉にならない機微や葛藤を、その場の空気ごと渡してくれる。土地は、自分の常識が常識でないことを、理屈ではなく身体で教えてくれる。この三つが積み重なって、はじめて「この場面ではこう動く」という考えができる。
「知」を育む三つの柱が細くなっている
そう考えたとき、いま起きている変化は、なかなかに厳しいものがあります。
文化庁の「国語に関する世論調査」によれば、1か月に本を1冊も読まない人は62.6%。5年前の47.3%から15ポイント以上増え、初めて6割を超えました。読書量が以前より減ったと答えた人は69.1%で、その理由の最多は「情報機器で時間が取られる」で43.6%。調査を始めた頃から3倍に増えています。 大学生に目を移すと、状況はさらに鮮明です。2026年2月に発表された全国大学生協連の調査では、1か月の書籍費が自宅生970円、下宿生990円と、比較可能な1970年以降で初めて1,000円を下回りました。1980年代には4,000〜5,000円だった数字です。1日の読書時間が「0分」の学生は51.5%。そして同じ調査で、生成AIの利用経験がある学生は92.2%と、前年の68.2%から一気に跳ね上がっています。 本は読まないが、AIは使う。この並びには、考えさせられるものがあります。
土地の話も同じです。2025年のパスポート発行数は約362万冊で前年比5.3%減。保有率は2割を切り、米国の約50%、韓国の約40%、台湾の約60%と比べると際立って低い。日本人の出国者数も、コロナ前の水準にはまだ戻っていません。 円安や物価高という事情はもちろんあります。ただ、「国内でも十分楽しめる」という感覚が広がっていることも、確かなようです。
本を読まなくなり、外に出なくなる。残る一本は「人から得られる知」ですが、こちらもリモートワークが定着し、雑談や偶然の立ち話が減った分、細くなっている実感があります。三本の柱が同時に痩せているところに、「これからは人間力だ」と号令をかける。少し無理があるように思うのです。
越境学習が三つの知を取り戻す
では、どうするか。ここからは私の仮説ですが、いまもっとも有効なのは越境学習ではないだろうかと。越境学習とは、いつもの職場を離れ、勝手の違う組織や地域に身を置いて学ぶことを指します。副業や社外プロジェクト、地方自治体への出向、NPOへの参画、留学。形はさまざまですが、共通しているのは、自分の肩書きも社内の常識も通じない場所に立つという一点です。
なぜ有効だと思うのか。それは、越境が先ほどの三つの知を一度に動かすからです。前提の違う人と向き合えば、人から得られる知が入ってくる。異なる土地や業界の作法に触れれば、土地から得られる知が入ってくる。そして何より、自分の当たり前が通じないという居心地の悪さに直面したとき、人は初めて本を手に取ります。知りたいという渇きが先にあって、読書はその後からついてくる。順番が逆なのです。「読め」と言われて読む一冊より、答えのない現場で困り果てた末に開く一冊のほうが、はるかに深く身体に入っていく。
研修会場の中だけで人間力を教えることは、おそらくできません。できるのは、人間力が必要になる状況に人を置くことだけです。越境は、その状況を意図的につくる装置なのだと思います。効率よく、失敗せず、最短距離で。そういう働き方に慣れた人ほど、一度、非効率と不確実の中に身を置いてみる価値がある。育成の設計とは、その機会をどれだけ本気で用意できるかということなのかもしれません。
AIが知的業務を担ってくれるということは、裏を返せば、私たちに時間が返ってくるということでもあります。その時間で何をするか。効率化した分だけまた作業を詰め込むのか、それとも、外の世界へ出ていくのか。人間力やEQという言葉を本気で扱うのであれば、答えはそう遠くない場所にある気がしています。
次回は、シニア世代が培った知をどう受け渡すかについてです。それでは、またこの場で。